旅館の事業承継——「廃業」以外の選択肢を数字で整理する

「うちは後継者がいないから、あと5年で閉めようと思っている」——地方の旅館やホテルの経営者から、こうした相談を受ける機会が増えました。

数字で見ると、帝国データバンクの2025年調査で日本企業全体の後継者不在率は50.1%。宿泊業に限れば、この数字はさらに高いとされています。実際に、全国の旅館数はピーク時の約8万軒から2024年時点で約3万軒にまで減少しており、その大きな要因の一つが「後継者不在による廃業」です。

しかし、廃業は唯一の選択肢ではありません。2023年12月に施行された改正旅館業法により事業譲渡の手続きが大幅に簡素化され、M&Aプラットフォームの普及で小規模旅館でも第三者への承継が現実的になりました。

本記事では、旅館・ホテル経営者が知っておくべき事業承継の選択肢を整理し、売却相場の目安、M&Aの具体的な進め方、活用できる補助金までを網羅的に解説します。私自身、コンサルティング先の旅館で事業承継を見守ったケースが複数あり、その現場で得た知見も織り交ぜてお伝えします。

旅館業界の事業承継の現状|後継者不在率と経営者の高齢化

まずダッシュボードを開いて、旅館業界が直面している事業承継の現状を数字で確認しましょう。

後継者不在率の推移

帝国データバンクの「全国後継者不在率動向調査(2025年)」によれば、日本企業全体の後継者不在率は50.1%で7年連続の改善傾向にあります。一方で、宿泊・飲食サービス業は依然として不在率が高い業種の一つです。

年度全業種平均宿泊・飲食サービス業
2020年65.1%72.0%
2022年57.2%65.8%
2024年52.1%61.3%
2025年50.1%59.5%

改善傾向にはあるものの、宿泊業では約6割の企業が後継者不在という状況が続いています。

経営者の高齢化が加速

旅館経営者の平均年齢は年々上昇しており、70歳以上の経営者が全体の約3割を占めるとされています。高齢での事業承継は中断・白紙になるリスクが高く、「まだ大丈夫」と先送りしている間に、選択肢が狭まっていくのが現実です。

特に地方の老舗旅館では「自分の代で終わりでいい」と考える経営者も少なくありませんが、長年働いてきた従業員の雇用、地域の観光資源としての価値、取引先への影響を考えると、事業承継は個人の問題ではなく地域の問題です。

廃業の経済的損失

旅館の廃業は、単に1つの宿がなくなるという話では済みません。

  • 従業員の雇用喪失:50室規模の旅館で正社員・パート合わせて30〜50名の雇用が消える
  • 地域経済への影響:食材納入業者、リネン業者、清掃業者など関連事業者への波及
  • 観光資源の消滅:温泉地の旅館が1軒減るごとに、エリア全体の集客力が低下
  • 不動産の塩漬け:買い手がつかず廃墟化するリスク

廃業の清算費用も無視できません。建物の解体費用だけで1,000万〜5,000万円、温泉設備の撤去を含めるとさらに膨らみます。廃業するにもコストがかかるという現実を踏まえれば、事業承継は経済合理性の観点からも検討すべき選択肢です。

事業承継3つの選択肢|親族内・従業員・第三者M&A

事業承継の方法は、大きく3つに分類されます。それぞれのメリット・デメリットと、旅館業界での適用状況を整理します。

選択肢①:親族内承継

子や親族に経営を引き継ぐ、最も伝統的な方法です。

項目内容
メリット従業員・取引先の理解が得やすい/経営理念の継続性が高い/事前準備期間を十分に確保できる
デメリット後継者候補がいない場合は選択不可/後継者の意思・能力のミスマッチ/相続税・贈与税の負担
所要期間5〜10年(後継者の育成期間を含む)
費用目安税理士・弁護士費用 50万〜200万円、相続税対策費用は別途

帝国データバンクの2025年調査では、事業承継のうち同族承継の割合は32.3%と、内部昇格(36.1%)を下回りました。「脱ファミリー経営」の流れは旅館業界にも確実に波及しています。

選択肢②:従業員承継(MBO/EBO)

番頭や支配人など、経営に精通した従業員に引き継ぐ方法です。

項目内容
メリット事業内容を熟知している/従業員・取引先との関係を維持しやすい/経営の連続性が高い
デメリット買取資金の調達が課題/経営者としての資質は別問題/個人保証の引き継ぎ
所要期間2〜5年
費用目安株式買取資金+アドバイザリー費用 100万〜500万円

従業員承継の最大のハードルは資金調達です。旅館の株式や事業用資産を買い取るには、数千万円〜数億円の資金が必要になるケースもあります。日本政策金融公庫の事業承継向け融資や、事業承継・引継ぎ補助金を活用して資金面のハードルを下げることが重要です。

選択肢③:第三者M&A

外部の企業や個人に事業を売却する方法です。近年、最も成長している選択肢です。

項目内容
メリット後継者がいなくても実行可能/売却対価を得られる/経営資源を活かしたまま事業が存続
デメリット買い手探しに時間がかかる場合がある/経営方針の変更リスク/従業員の不安
所要期間6ヶ月〜2年
費用目安M&A仲介手数料 成約額の3〜10%、最低報酬200万〜500万円

2025年時点で、宿泊業界のM&Aは活況です。インバウンド需要の回復、異業種からの参入、不動産ファンドによる買収など、買い手側の需要は旺盛です。特にインバウンド需要を取り込める立地の旅館は、売り手有利の交渉が可能なケースが増えています。

3つの選択肢の比較まとめ

比較項目親族内承継従業員承継第三者M&A
後継者の有無必要必要不要
経営理念の継続
売却対価なしありあり
従業員の雇用
準備期間5〜10年2〜5年6ヶ月〜2年
専門家費用

改正旅館業法で変わった事業承継手続き

2023年12月13日に施行された改正旅館業法は、旅館の事業承継を検討する経営者にとって大きな追い風です。

改正前:許可の取り直しが必要だった

改正前は、旅館業の事業譲渡を行う場合、譲渡人が廃業届を提出→譲受人が新たに営業許可を取得という手順が必要でした。新規許可の取得には保健所の施設検査を含めて1〜3ヶ月かかり、その間は営業停止を余儀なくされるケースもありました。

改正後:届出制で営業を継続できる

改正後は、合併・分割・相続と同様に、事業譲渡でも届出(承認申請)により営業者の地位を承継できるようになりました。具体的には以下の手続きで完了します。

  1. 譲受人が都道府県知事等に承認申請書を提出
  2. 申請書には、譲受人・譲渡人の情報、譲渡予定日、施設の名称・所在地、欠格事由の有無を記載
  3. 添付書類:事業譲渡を証する書類、法人の場合は定款の写し
  4. 承認後、新規許可なしで営業を継続可能

なお、都道府県知事等は承継日から6ヶ月以内に少なくとも1回の業務状況調査を行うこととされています。

実務上のインパクト

この改正により、M&Aにおける営業停止リスクがほぼ解消されました。買い手にとっては「取得した翌日から営業を継続できる」安心感があり、売り手にとっては「引き渡しまでの営業収益を確保できる」メリットがあります。

実績として、この法改正以降、M&Aプラットフォーム上の旅館・ホテル案件の成約スピードが明らかに上がっています。以前は「許可の取り直し」がネックで交渉が長期化していた案件が、届出制に変わったことでスムーズに進むようになりました。

旅館業法の改正内容を踏まえた開業手続き全般については、ホテル開業費用の相場と資金調達ガイドでも詳しく解説しています。

旅館・ホテルの売却相場|企業価値の算出方法

M&Aを検討する際、最も気になるのは「自分の旅館はいくらで売れるのか」でしょう。売却相場の目安と、企業価値の算出方法を解説します。

売却相場の目安

規模・業態売却価格の目安算定の考え方
小規模旅館(10〜20室)1,000万〜1億円不動産評価額+営業権
中規模旅館(30〜50室)1億〜5億円EBITDA × 3〜5倍
大規模旅館・ホテル(50室以上)5億〜20億円EBITDA × 4〜7倍
都心部ホテル(100室以上)10億〜100億円EBITDA × 8〜15倍

一般的な目安として、年間営業利益(EBITDA)の2〜5倍が旅館のM&A相場です。ただし、立地・温泉の有無・建物の状態・ブランド力によって大きく変動します。

企業価値の3つの算出方法

①コストアプローチ(時価純資産法)

土地・建物・設備などの資産の時価から負債を差し引いて算出。旅館の場合、不動産の評価が大きなウェイトを占めます。赤字企業でも不動産価値が高ければ売却できるのがこの方法の特徴です。

②インカムアプローチ(DCF法・収益還元法)

将来のキャッシュフローを現在価値に割り引いて算出。収益性の高い旅館ではコストアプローチより高い評価が出ることが多いです。RevPAR・ADR・稼働率の過去3〜5年のトレンドが評価の基礎になります。

RevPAR・ADR・稼働率の計算方法と活用術を理解しておくことで、自社の収益力を正確にアピールできます。

③マーケットアプローチ(類似取引比較法)

類似する旅館・ホテルのM&A事例から算出。近年は宿泊業のM&A事例が増えているため、比較対象を見つけやすくなっています。

売却価格を高めるための準備

私がコンサルティングの現場で見てきた限り、売却前に以下の「磨き上げ」を行った旅館は、評価額が20〜50%向上するケースが珍しくありません。

  • 財務の透明化:税務申告だけでなく、月次の管理会計を整備する。RevPAR・ADR・OCC(稼働率)を月次で追跡できるダッシュボードがあると買い手の安心材料になる
  • OTA依存度の分散:特定OTAへの依存度が高すぎると、買い手から見てリスク要因になる。直販比率を高めておくことで企業価値が上がる
  • 収益改善の実績:売却前の1〜2年でダイナミックプライシングの導入やコスト最適化を行い、収益力を数字で示す
  • 設備の修繕計画:買い手が「買った後にいくら修繕費がかかるか」を判断できるよう、設備の状態と修繕計画を整理する
  • 従業員の定着:人手不足の時代、「スタッフが揃っている」こと自体が大きな資産。引き継ぎ後の離職リスクが低いことを示す

以前支援した28室の老舗旅館では、売却を検討する前にまず収益改善に取り組みました。値上げ提案を3回断られた社長に対して、土曜日だけ・スタンダード客室のみ・1,500円だけ上げるA/Bテストを1ヶ月実施。キャンセル率は変わらず、RevPARが12%改善しました。この「収益力の向上」を実績として提示できたことで、最終的なM&A交渉でも有利な条件を引き出すことができました。

事業承継を成功させる7ステップ

第三者M&Aを中心に、事業承継の具体的な進め方を7つのステップで解説します。

ステップ1:現状分析と意思決定(1〜3ヶ月)

まず自社の経営状況を客観的に把握します。

  • 財務諸表(過去3〜5年分)の整理
  • 不動産・設備の時価評価
  • 従業員構成と人件費の把握
  • 借入金・個人保証の確認
  • RevPAR・ADR・稼働率のトレンド分析

この段階で「事業承継・引継ぎ支援センター」に無料相談するのがおすすめです。全国47都道府県に設置されており、初回相談は無料で、M&Aの進め方から後継者探しまで包括的にサポートしてくれます。

ステップ2:企業価値の算定(1〜2ヶ月)

M&Aアドバイザーや公認会計士に依頼し、自社の企業価値を算定します。前述の3つの方法(コスト・インカム・マーケット)を組み合わせて、売却価格の目安を設定します。

ステップ3:アドバイザーの選定(1ヶ月)

M&A仲介会社、プラットフォーム、または事業承継・引継ぎ支援センターからの紹介で、アドバイザーを選定します。宿泊業界のM&A実績がある専門家を選ぶことが重要です。

ステップ4:買い手候補の探索とマッチング(3〜6ヶ月)

ノンネームシート(匿名の概要書)を作成し、買い手候補にアプローチします。M&Aプラットフォームを活用すれば、複数の買い手候補を同時に探索できます。

ステップ5:基本合意と買い手によるデューデリジェンス(2〜3ヶ月)

有力な買い手候補と基本合意書(LOI)を締結し、買い手側のデューデリジェンス(資産査定・法務調査・財務調査)を受けます。この段階で財務の透明性が高いと交渉がスムーズに進みます。

ステップ6:最終契約と行政手続き(1〜2ヶ月)

譲渡価格・条件を確定させ、最終契約(SPA)を締結します。改正旅館業法に基づき、譲受人が都道府県知事等に承認申請を行います。

ステップ7:引き渡しと統合(PMI)(3〜6ヶ月)

クロージング後、実際の経営権移転と統合作業(PMI:Post Merger Integration)を進めます。従業員への説明、取引先への挨拶、システム統合、ブランディングの調整などが含まれます。

PMIの成否がM&A成功の8割を決めると言っても過言ではありません。特に旅館の場合、女将やベテランスタッフの存在が顧客満足に直結するため、人材の引き留めが最重要課題です。

M&Aプラットフォーム比較|旅館に強いサービス5選

中小規模の旅館がM&Aを検討する際に活用できるプラットフォームを比較します。

サービス名特徴手数料(売り手)宿泊業の案件数
バトンズ(BATONZ)成約実績No.1。常時10,000件以上の案件。専門家サポートが手厚い成約時のみ。売り手は実質無料〜成約額の2%ホテル・旅館カテゴリで866件以上
トランビ(TRANBI)日本最大級。買い手が直接交渉できるスタイル。未経験者M&A成功率75%売り手は無料宿泊施設カテゴリ多数
M&Aサクシード法人限定プラットフォーム。審査済み企業のみで安心感売り手は無料旅行・宿泊施設カテゴリあり
日本M&Aセンター業界最大手の仲介会社。大型案件に強い。専任アドバイザーが伴走レーマン方式(成約額の3〜5%)宿泊業の専門チームあり
事業承継・引継ぎ支援センター国(中小機構)の公的支援。全国47箇所。無料相談から後継者マッチングまで完全無料地域の旅館案件に強い

プラットフォーム選びのポイント

  • 案件規模が1億円未満:バトンズ・トランビなどのオンラインプラットフォームがコスト面で有利
  • 案件規模が1億〜5億円:M&Aサクシードや中小のM&A仲介会社。手数料と支援の質のバランスが良い
  • 案件規模が5億円以上:日本M&Aセンターなど大手仲介会社。交渉力とネットワークが強み
  • まず相談したい:事業承継・引継ぎ支援センターに無料相談。方向性が定まったらプラットフォームへ

複数のプラットフォームに同時に登録して、最も条件の良い買い手を見つけるのも有効な戦略です。ただし、情報漏洩のリスクを管理するため、ノンネームシート(匿名情報)の段階で慎重に進めることが重要です。

活用できる補助金・支援制度

事業承継にかかる費用を軽減するための補助金・支援制度を整理します。

事業承継・M&A補助金

中小企業庁が実施する補助金で、事業承継やM&Aに伴う費用を補助します。2026年度も継続して公募が行われています。

申請枠補助率上限額対象経費
事業承継促進枠2/3600万円設備投資、販路開拓、事業転換に伴う経費
専門家活用枠2/3600万円M&A仲介手数料、デューデリジェンス費用、税理士・弁護士費用
PMI推進枠2/3150万円M&A後の統合費用(システム統合、研修等)
廃業・再チャレンジ枠2/3150万円廃業に伴う原状回復費、在庫処分費等

特に専門家活用枠はM&A仲介手数料の2/3(上限600万円)が補助されるため、中小旅館にとっては大きな支援になります。

事業承継税制(特例措置)

親族内承継の場合、事業承継税制を活用すると、自社株式にかかる贈与税・相続税の納税が猶予・免除されます。2027年12月までの時限措置で、事前に「特例承継計画」の提出が必要です。

経営承継円滑化法に基づく金融支援

都道府県知事の認定を受けることで、日本政策金融公庫から低利融資を受けられます。事業承継に伴う株式取得資金、設備投資資金などが対象です。

事業承継・引継ぎ支援センターの活用

全国47都道府県に設置された公的支援機関で、以下のサービスがすべて無料で利用できます。

  • 事業承継に関する相談(親族内・従業員・M&A)
  • 後継者人材バンク(個人の後継者候補とのマッチング)
  • M&Aマッチング(登録された売り手・買い手のデータベース活用)
  • 専門家派遣(税理士・弁護士等の無料派遣)

廃業を回避した事業承継の成功事例

実際に事業承継を成功させた旅館の事例を紹介します。

事例1:地方温泉旅館(30室)のM&A——OTA依存からの脱却と企業価値向上

ある地方温泉旅館(客室30室)のケースです。70代の経営者に後継者がおらず、売却を検討していました。しかし、OTA依存度が90%を超えており、買い手候補から「OTAのアルゴリズム変更で収益が激減するリスクがある」と指摘され、交渉が停滞していました。

そこで売却の前に6ヶ月間の「磨き上げ」を実施。直販サイトのリニューアル、LINE公式アカウントの構築、Googleビジネスプロフィールの最適化を行い、OTA依存度を90%から65%まで引き下げました。同時にダイナミックプライシングを導入してRevPARを15%改善。

結果、当初の評価額から30%上乗せされた条件でM&Aが成約。買い手は都市部のホテル運営会社で、人材・ブランド・予約システムのシナジーにより、承継後1年でRevPARがさらに20%向上しました。

事例2:老舗旅館(50室)の従業員承継——番頭からオーナーへ

創業100年を超える老舗旅館で、3代目経営者が75歳で引退を決意。親族に後継者がいなかったため、30年勤務のベテラン番頭(当時55歳)への承継を選択しました。

最大の課題は資金でした。株式の評価額が約8,000万円と算出され、番頭個人での資金調達は困難。そこで事業承継・引継ぎ支援センターの支援を受け、日本政策金融公庫の事業承継向け融資5,000万円と、県の制度融資3,000万円を組み合わせて資金を調達。さらに事業承継・M&A補助金の専門家活用枠で税理士・弁護士費用をカバーしました。

承継後、新オーナーはホテル売上アップの実践施策を取り入れ、料理と温泉を活かしたウェルネスプランを新設し、客単価を20%向上させました。

事例3:廃業寸前の民宿をリノベーション型M&Aで再生

過疎地域の民宿(8室)が、経営者の体調不良により廃業を検討。バトンズに登録したところ、都市部のIT企業経営者が「二拠点生活+ワーケーション施設」として買収を希望しました。

売却額は建物・土地込みで1,500万円と高額ではありませんでしたが、廃業費用(解体費約800万円)を考えると経営者にとっては差し引き2,300万円の経済メリットがありました。買い手はリノベーションに2,000万円を投じ、ワーケーション対応の宿泊施設として再オープン。地元の雇用3名も維持されました。

よくある質問

Q. 赤字の旅館でもM&Aで売却できますか?

可能です。旅館のM&Aでは、不動産価値(土地・建物・温泉権)が評価の大きな部分を占めるため、営業赤字でも立地や設備に価値があれば買い手は見つかります。また、「現在は赤字だが、適切な運営に切り替えれば黒字化できる」と買い手が判断すれば、事業価値として評価されます。ただし、売却価格は黒字の旅館に比べて低くなるため、可能であれば売却前に収益改善を行うことをおすすめします。

Q. M&Aの場合、従業員の雇用は守られますか?

M&A契約の中で「従業員の雇用維持」を条件として盛り込むことが一般的です。特に旅館業では人材確保が困難な時代であり、経験豊富なスタッフが揃っていること自体が買い手にとって大きな魅力です。多くのケースで、既存従業員の雇用条件は維持または改善されています。ただし、法的な保証期間は契約次第のため、弁護士と相談のうえ条件を詰めることが重要です。

Q. 事業承継にかかる期間はどのくらいですか?

親族内承継は後継者の育成を含めて5〜10年、従業員承継は2〜5年、第三者M&Aは6ヶ月〜2年が目安です。M&Aの場合、案件の規模やマッチングの状況によって変動しますが、準備を始めてから成約まで平均10〜14ヶ月というデータがあります。経営者が健康で判断力があるうちに着手することが重要です。

Q. 個人保証(経営者保証)はどうなりますか?

事業承継時の経営者保証は大きな課題ですが、2023年4月から「経営者保証改革プログラム」が実施され、事業承継時に経営者保証を不要とする新たな信用保証制度が創設されました。また、「経営者保証に関するガイドライン」に基づき、金融機関に対して保証の解除を求めることが可能です。事業承継・引継ぎ支援センターでも経営者保証の解除に関する相談を受け付けています。

Q. 事業承継の相談はどこにすればいいですか?

まずは事業承継・引継ぎ支援センター(全国47箇所、無料)への相談がおすすめです。方向性が決まったら、M&A仲介会社やプラットフォーム、税理士・弁護士などの専門家に相談を進めます。商工会議所や地方銀行も事業承継の相談窓口を設けているケースが多いので、身近なところから声をかけてみてください。

まとめ:事業承継は「数字の整理」から始まる

旅館の事業承継は、経営者にとって人生で最も大きな決断の一つです。しかし、感情的に悩み続けるよりも、まず数字を整理するところから始めることで、選択肢が明確に見えてきます。

本記事のポイントを整理します。

  • 選択肢は3つ:親族内承継・従業員承継・第三者M&A。後継者がいなくてもM&Aで事業は存続できる
  • 法改正が追い風:改正旅館業法(2023年12月施行)で事業譲渡の手続きが大幅に簡素化
  • 売却相場:年間営業利益(EBITDA)の2〜5倍が目安。売却前の「磨き上げ」で20〜50%の上乗せも可能
  • 補助金を活用:事業承継・M&A補助金(専門家活用枠で最大600万円)、事業承継税制の特例措置
  • 公的支援は無料:事業承継・引継ぎ支援センター(全国47箇所)で無料相談が可能

私が支援してきた旅館の中で、事業承継に成功したケースに共通するのは、「早く動いた」ということです。経営者が元気なうちに、財務状況をオープンにし、複数の選択肢を比較検討する。そして、4週間単位で検証しながら方向性を固めていく——このアプローチが最も確実です。

「うちはまだ大丈夫」と思っている方こそ、今日、事業承継・引継ぎ支援センターに電話を1本入れてみてください。その一歩が、従業員の雇用を守り、地域の観光資源を次世代に引き継ぐ第一歩になります。