2026年度(令和8年度)の地域別最低賃金は、全国加重平均で1,177円、前年から56円の引上げとなりました。厚生労働省によると、目安制度が始まった1978年度以降で2番目に大きい上げ幅です(最大は前年度の66円)。47都道府県すべてで54〜65円上がり、10月1日から12月2日にかけて順次発効します。

宿泊業は、パート・アルバイト比率が高い業種です。最低賃金の改定は、そのまま人件費と損益分岐稼働率に響きます。現場では「時給を上げればいい」と思われがちですが、実際に手を動かすと、月給の正社員が最低賃金を割っていた、賃金規程の時給表を直し忘れていた、扶養内パートの勤務可能時間が減って年末のシフトに穴が空いた、という二次的な問題のほうが手間を取ります。

この記事では、旅館の現場スタッフからDX推進・補助金申請支援に移った立場で、①改定額と発効日の一覧、②ホテル・旅館3モデルでの影響額の試算、③発効日までにやる実務7手順の順で整理します。賃上げ全体の収支設計はホテル賃上げ対策5選もあわせて読んでください。

2026年度 最低賃金の改定額と発効日【宿泊需要の多い地域】

厚生労働省が2026年9月3日に公表した答申状況から、宿泊施設の多い都道府県を抜き出しました。発効日は異議申出の状況などで変わる可能性があるため、最終的には各都道府県労働局の公示で確認してください。

都道府県改定後(円)改定前(円)引上げ額発効日(予定)
東京1,2801,226+542026年10月1日
神奈川1,2791,225+542026年10月1日
大阪1,2311,177+542026年10月1日
京都1,1801,122+582026年11月16日
兵庫1,1721,116+562026年10月1日
静岡1,1541,097+572026年10月15日
北海道1,1311,075+562026年10月1日
長野1,1171,061+562026年10月2日
石川1,1131,054+592026年10月3日
福岡1,1141,057+572026年10月4日
大分1,0961,035+612026年11月1日
佐賀1,0951,030+652026年11月15日
熊本1,0921,034+582026年12月1日
沖縄1,0861,023+632026年12月2日
全国加重平均1,1771,121+56-

今回の特徴は2つあります。1つは地方ほど引上げ額が大きいことです。目安額はAランク54円、B・Cランク56円でしたが、佐賀(+65円)、鹿児島(+64円)、高知・沖縄(+63円)など、33府県が目安を上回りました。温泉地やリゾートを抱える地方の旅館ほど影響率が高くなります。

もう1つは発効日のばらつきです。私の住む京都は11月16日、沖縄は12月2日と、紅葉や年末年始の繁忙期の直前に新しい時給へ切り替わります。給与の締日が月中にある施設では、発効日をまたぐ月の計算を間違えやすいので、後述の手順5で詳しく扱います。

宿泊業への影響額をモデルで試算する

「56円上がる」と聞いても、自館の利益にどれだけ響くかは見えにくいものです。そこで規模の違う3つのモデルで、年間の人件費増と、人件費率・損益分岐稼働率の変化を試算しました。

試算の前提

  • 時給制スタッフ(パート・アルバイト)の月間延べ労働時間 × 引上げ額 × 12か月を直接の増加額とする
  • 社会保険料など会社負担分として+15%を上乗せ
  • 最低賃金のすぐ上にいるスタッフとの時給差を保つための調整(波及分)として×1.3
  • 損益分岐稼働率の変化 = 年間増加額 ÷(客室数 × 365日 × ADR ×(1-変動費率))
項目A:都市型ビジネスホテルB:温泉旅館C:リゾートの小規模ペンション
立地・規模東京・100室京都・30室沖縄・10室
時給制の月間延べ時間6,000時間3,000時間800時間
引上げ額+54円+58円+63円
ADR/稼働率12,000円/80%25,000円/65%15,000円/60%
年間売上(客室)約3億5,040万円約1億7,794万円約3,285万円
直接の増加額(年)388.8万円208.8万円60.5万円
社保・波及込みの増加額(年)約581万円約312万円約90万円
人件費率の上昇+1.7pt+1.8pt+2.8pt
損益分岐稼働率の上昇+1.8pt+1.8pt+2.4pt
ADRで吸収する場合+約200円+約440円+約410円

たとえばBの旅館で、改定前の損益分岐稼働率が58%なら、改定後は約59.8%になります。年間で約200室泊、余計に売らないと同じ利益が残らない計算です。Cのような小規模施設は売上規模に対して影響が大きく、人件費率が3pt近く上がります。

ただし、この試算は「人の配置を何も変えない場合」です。後半の手順7で触れる料金改定や省人化と組み合わせれば、上昇幅は圧縮できます。自館の数字で計算し直す方法はホテル・旅館の損益分岐点と採算稼働率で、FL比率の業態別目安はホテルFLコストの目安で解説しています。

まず押さえる法令の基本|違反時のリスク

最低賃金は、パート・アルバイト・正社員・試用期間中の人まで、雇用形態にかかわらず全労働者に適用されます。最低賃金を下回る賃金で合意していても、その部分は無効となり、最低賃金額で契約したものとみなされます(最低賃金法4条)。地域別最低賃金を支払わない場合は50万円以下の罰金の対象です(同法40条)。差額の遡及払いに加え、労働基準監督署の是正勧告を受ければ採用ブランドにも響きます。

判定に使う賃金には、含めないものがあります。ここを誤解している施設が多いです。

最低賃金の判定に含める判定から除外する
基本給、職務手当、役職手当、資格手当など毎月決まって支払う賃金時間外・休日・深夜の割増賃金、精皆勤手当、通勤手当、家族手当、賞与など1か月を超える期間ごとの賃金、結婚手当など臨時の賃金

夜勤の多いフロントでは「深夜手当込みなら時給1,300円を超えている」というケースがありますが、深夜割増は除外されるので、判定は割増前の時給で行います。まかないや寮の提供も、原則として賃金に足して判定することはできません。

発効日までにやる実務7手順

手順1:自館の適用額と発効日を確定する

最低賃金は事業場の所在地で決まります。本社が東京でも、京都の旅館で働く人には京都の1,180円が適用されます。多拠点展開している運営会社は、施設ごとに適用額と発効日を一覧にしてください。派遣スタッフは派遣先の所在地の最低賃金が適用されるため、派遣会社との単価交渉もこのタイミングで必要です。

手順2:全従業員の「時間あたり賃金」を洗い出す

時給制だけ確認して終わるのが一番危険です。月給制は次の式で換算します。

(月給 - 除外する手当)÷ 1か月の平均所定労働時間 ≧ 最低賃金額

たとえば年間所定労働時間2,080時間(月平均約173.3時間)の施設で、基本給18万円+職務手当2万円=月20万円の正社員は、時間あたり約1,154円です。京都の新しい最低賃金1,180円を下回ります。東京なら月22万円(約1,269円)でも1,280円に届きません。補助金申請の支援で賃金台帳を見せてもらうと、月給者の時間換算を一度もしていない施設は珍しくありません。新卒初任給や、手当を厚くして基本給を抑えている賃金体系は特に要注意です。

手順3:引上げ額と時給テーブルを決める

最低賃金ちょうどに合わせるだけでは、経験3年のスタッフと昨日入った新人の時給が並んでしまいます。現場では、これが離職の引き金になります。最低賃金に+20〜50円の段階を設け、経験年数やスキル(夜勤可、2か国語対応、清掃リーダーなど)で時給を区切るテーブルに組み直すのがおすすめです。試算の「波及×1.3」はこの調整分を見込んだ数字です。

手順4:就業規則・賃金規程を改定し、届け出る

最低賃金の改定そのものに届出義務はありません。ただし、就業規則や賃金規程に時給額や時給テーブルを書いている場合は、規程の改定が必要です。常時10人以上の労働者がいる事業場は、従業員代表の意見書を添えて所轄の労働基準監督署に変更届を提出します(労働基準法89条・90条)。あわせて、個々のパート・アルバイトの労働条件通知書(雇用契約書)も新しい時給で交付し直してください。規程づくり全体の流れはホテル就業規則の作り方で解説しています。

手順5:給与システムと社会保険の手続きを更新する

新しい時給は発効日以降の労働分から適用されます。たとえば京都で「15日締め」の施設は、11月16日発効なので、11月16日〜12月15日の期間がまるごと新時給になります。末日締めの場合は、11月分の給与が1日〜15日と16日〜30日で単価の違う日割り計算になります。勤怠・給与システムの単価マスタを「発効日指定」で登録できるか、事前に確認しておきましょう。

社会保険に加入している月給者の固定的賃金を上げた場合、3か月平均で標準報酬月額が2等級以上変わると月額変更届(随時改定)が必要です。時給者でも、時給アップと勤務時間の増加が重なると該当することがあります。

手順6:シフトを再設計する

時給が上がると、扶養の範囲内で働きたいパートさんが年末に向けて勤務時間を減らす「年収の壁」問題が起きます。発効日が秋なので、10〜12月の繁忙期に就業調整が集中します。対策は3つです。

  • 年間の勤務可能時間を本人と再確認する:新時給で残り何時間働けるかを一覧にし、12月の穴を11月中に把握する
  • 時間帯別の必要人数を見直す:チェックイン集中の15〜18時、朝食の6〜9時など、ピークに人を寄せて中抜けの時間を削る
  • 人時生産性を指標にする:売上 ÷ 総労働時間を週次で追い、時給アップ分を時間の使い方で吸収できているか確認する

シフトを組み替えるときは、勤務間インターバルや連続勤務の上限にも注意が必要です。詳しくは宿泊業の連続勤務日数の上限と法令対応と労働基準法改正とインターバル対応を参照してください。

手順7:原資を確保する(料金・省人化・助成金)

原資の確保策は「価格」「省人化」「助成金」の3本で考えます。

価格:試算のとおり、ADRに換算すると1室あたり200〜440円です。繁忙期の料金テーブルを見直すだけで吸収できる施設も多いはずです。

省人化:夜間フロントのセルフチェックイン化、清掃管理アプリ、PMSと会計の連携など、時間を生む投資です。ただし、省人化は「人を減らす」ことではなく、「人を置く場所を変える」ことだと私は考えています。セルフチェックイン機を入れた初週、深夜に到着した高齢のご夫婦が画面操作で詰まり、翌朝に強いクレームをいただいたことがあります。当直スタッフへ直通でつながる物理ボタンを付け、文字を1.5倍にしたところ、同じクレームはなくなりました。機械に任せる部分と、人の声を残す部分を分けて設計するのが現場で失敗しないコツです。導入手順はセルフチェックインの選定と運用にまとめています。

助成金:補助金で言うと、最低賃金の改定に最も直結するのは厚生労働省の業務改善助成金です。事業場内で最も低い時給を一定額以上引き上げ、あわせて生産性向上の設備投資(POSレジ、清掃管理システム、自動釣銭機など)を行うと、投資費用の一部が助成されます。令和8年度は30円コースが廃止され、より大きな引上げが前提になりました。申請期間は2026年9月1日から、地域別最低賃金の発効日の前日か11月30日のいずれか早い日までです。10月1日発効の地域はすでに締め切られていますが、記事公開時点(2026年10月下旬)では、京都(11月15日まで)、佐賀(11月14日まで)、岩手・熊本・沖縄(11月30日まで)などはまだ間に合う可能性があります。賃上げと投資は申請・交付決定のあとに行うのが原則なので、先に引き上げてしまった後では対象になりません。

設備投資そのものは、デジタル化・AI導入補助金(旧IT導入補助金)や中小企業省力化投資補助金でも1/2程度まで圧縮できます。詳しくは省力化投資補助金2026の申請手順を参照してください。

最低賃金改定 対応チェックリスト

発効日の1か月前を目安に、上から順に潰していってください。

No.確認項目担当期限の目安
1施設ごとの新しい最低賃金額と発効日を労働局の公示で確認した総務・人事発効1か月前
2派遣・委託先(清掃など)と単価改定を協議した総務・購買発効1か月前
3月給者を含む全員の時間換算額を算出し、不足者を特定した人事・経理発効1か月前
4判定から除外すべき手当(深夜割増・通勤・皆勤など)を除いて計算した人事・経理発効1か月前
5経験・スキル別の時給テーブルを決め、逆転が起きていない支配人・人事発効3週間前
6業務改善助成金の申請要否を判断し、申請する場合は賃上げ前に申請した経営者発効日の前日まで
7賃金規程を改定し、意見書を添えて労基署へ届け出た(10人以上)人事発効2週間前
8労働条件通知書を新しい時給で交付し直した人事発効日まで
9給与・勤怠システムの単価を発効日指定で登録した経理発効日まで
10扶養内パートの残り勤務可能時間を確認し、年末シフトを組み直した各部門リーダー発効2週間前
11月額変更届が必要な人を3か月後に確認する予定を入れた人事発効3か月後
12料金テーブルと損益分岐稼働率を更新した支配人・レベニュー発効1か月前

まとめ|「時給を上げる」だけで終わらせない

2026年度の最低賃金は全国加重平均1,177円(+56円)。試算では、人件費率と損益分岐稼働率がそれぞれ約2pt上がります。押さえるべきポイントは次の5つです。

  1. 適用額は事業場の所在地で決まる:発効日は地域で10月1日〜12月2日とばらつく
  2. 月給者の時間換算を必ず行う:手当の除外ルールを守って計算する
  3. 時給テーブルで逆転を防ぐ:波及分まで予算に入れる
  4. 規程の改定と届出、給与システムの日割りを忘れない
  5. 原資は価格・省人化・助成金の3本で:業務改善助成金は賃上げ前の申請が必須

現場では、最低賃金の改定は「毎年秋の事務作業」になりがちです。ただ、毎年50円を超える引上げが続く今は、人の配置と料金を見直すきっかけとして使ったほうが、翌年以降の改定にも慌てずに済みます。まずは賃金台帳を開いて、月給者の時間換算から始めてみてください。