まずダッシュボードを開いて、RevPARとOTA依存度を確認する——これが私の毎朝のルーティンだ。コンサルタントとして数十施設を支援してきた中で、最近もっとも多く寄せられる相談が「売却」と「事業承継」だ。後継者問題に悩む老舗旅館のオーナーから、インバウンド需要を取り込もうとする投資ファンドの担当者まで、ホテル・旅館のM&A市場は2026年に入り過去最多水準の案件数を記録している。
本稿では、売り手・買い手・仲介会社の三者の視点から、ホテル・旅館M&Aの全貌を解説する。単なる「売り方ガイド」ではなく、企業価値評価(バリュエーション)、デューデリジェンス(DD)、仲介会社5社の比較まで、実務で使えるデータを交えて網羅した。
1. 2026年のホテル・旅館M&A市場:案件数が過去最多水準に
市場を動かす3つのドライバー
数字で見ると、宿泊業のM&A案件数は2020年のコロナ禍を境に急増し、2025〜2026年は過去最多水準で推移している。背景には三つの構造的要因がある。
① 後継者問題の深刻化
旅館オーナーの平均年齢は60代後半。帝国データバンクの調査(2025年)によると、宿泊業の後継者不在率は60%を超えた。「親族に継がせたい」という希望があっても、実際に事業承継できる後継者がいない施設が過半数を占める。廃業の前にM&Aという選択肢を検討するオーナーが急増している。
② インバウンド需要の急回復と外資・ファンドの参入加速
2024年の訪日外国人数は3,687万人を記録し、日本の宿泊施設への投資需要が世界的に高まっている。シンガポール・香港・台湾のファンドが地方温泉旅館を組織的に取得するケースが増加しており、「売却価格が想定より高かった」という声を現場でよく耳にする。特に源泉かけ流し・貸切露天風呂を持つ旅館は、インバウンド向けウェルネス施設として欧米ファンドからも注目されている。
③ ゼロゼロ融資返済期の経営悪化
コロナ禍の無利子・無担保融資(いわゆるゼロゼロ融資)の返済が本格化し、資金繰りが悪化した施設が増加。月末残高が月商の1ヶ月分を割り込む施設では「廃業より売却」を選ぶオーナーが増えている。資金繰りが苦しい状態で売却を急ぐと価格交渉で不利になるため、財務が改善しているうちに動くことが鉄則だ。
M&A案件の規模感:譲渡価格の目安
宿泊業M&Aの譲渡価格帯は概ね以下の通りだ。ただし、RevPARの水準・OTA依存度・不動産の所有/賃借区分・施設の老朽化度合いによって評価額は大きく変わる。
| 施設規模 | 客室数 | 譲渡価格の目安 | 主な買い手 |
|---|---|---|---|
| 小規模旅館・民宿 | 10〜30室 | 2,000万〜1億円 | 個人投資家・地域事業者 |
| 中規模旅館・ホテル | 30〜80室 | 1億〜5億円 | 中堅ホテルチェーン・ファンド |
| 大規模ホテル | 80〜200室 | 5億〜30億円超 | 国内外の投資ファンド・チェーン |
| リゾートホテル・特殊施設 | 規模問わず | 個別交渉(数十億円超も) | 外資ファンド・REIT |
実績として、私が支援した旅館M&Aでは、売却前の「磨き上げ」により当初評価額から20〜50%の上乗せで成約したケースが複数ある。磨き上げの具体的な手法については後述する。
2. M&Aの3つの手法と選び方
ホテル・旅館のM&Aには主に三つの手法がある。どれを選ぶかは「オーナーの優先事項」によって異なる。
① 株式譲渡(最も一般的)
法人(株式会社・合同会社)が運営する施設の場合、オーナーが保有する株式を買い手に譲渡する手法。手続きがシンプルで、旅館業法の営業許可も原則引き継がれるため最も使われる。ただし買い手は潜在債務(未払残業・コロナ融資の残高・修繕積立不足など)も承継するリスクがある。売り手側はDD前に自社の潜在リスクを把握・対処しておくことが重要だ。
② 事業譲渡(資産・負債を選択的に引き継ぎ)
施設の「事業」部分のみを譲渡する手法。不要な資産・負債を除外して売却できるため、買い手に有利なケースが多い。一方、旅館業法の許認可は再取得が必要になることがある。不動産を別途売買契約で譲渡するケースも多く、手続きが複雑になる分、弁護士費用も増加する傾向がある。
③ 不動産(土地・建物)売却(廃業前提)
事業は廃止し、不動産のみを売却する手法。買い手はリノベーションして別業態で運営するケースが多い。旅館業法の許認可は不要だが、従業員の雇用継続が困難になるケースもある。売却価格は事業価値より不動産評価額が主体になるため、収益性が高い施設では事業売却より低い評価になることが多い。
手法選択のポイント
金額最大化を優先するなら①株式譲渡が有利。従業員雇用継続を優先するなら契約書に雇用条件を明記できる①②が望ましい。早期クローズを優先するなら買い手ネットワークが広い仲介会社を通じた①が最速だ。売り手・買い手双方の弁護士・税理士・仲介会社を交えて最適解を選ぶことが重要だ。
3. 企業価値評価(バリュエーション)の実務
ホテル・旅館M&Aで最も重要な論点が「いくらで売れるか」。企業価値評価の主な4手法を解説する。
① EV/EBITDA倍率法(マルチプル法)— 最もよく使われる
事業価値(EV)をEBITDA(利払い前・税引き前・減価償却前利益)の何倍で評価するかを決める方法。宿泊業の目安倍率は以下の通りだ。
- ビジネスホテル(稼働安定型):EBITDA × 4〜7倍
- 温泉旅館(ブランド力あり):EBITDA × 5〜8倍
- リゾートホテル(季節変動大):EBITDA × 4〜6倍
- 簡易宿所・民宿:EBITDA × 2〜4倍
例えばEBITDA 3,000万円の旅館なら、1.5億〜2.4億円が概算評価レンジになる。ただし、RevPARが市場平均を大きく上回る施設や、コンセプトが明確でリピート率が高い施設は倍率が上振れする傾向がある。RGI(Revenue Generation Index)が110を超える施設では、EBITDAの8〜10倍で成約するケースも存在する。
② DCF法(ディスカウント・キャッシュフロー法)— 精度は高いが要注意
将来5〜10年のキャッシュフローを現在価値に割り引いて評価する方法。精度は高いが、売上予測の前提(RevPARの成長率、稼働率の想定)によって結果が大きく変わる。ファンドや投資家が使うケースが多く、売り手側は「保守的な前提」で評価されることが多い。楽観的な数値で反論するには、過去3年のRevPAR実績トレンドと市場成長率データを準備しておくことが必須だ。
③ 純資産法(コストアプローチ)— 赤字施設・廃業前施設向け
貸借対照表上の純資産をベースに評価する方法。収益性が低い施設や廃業直前の施設で使われることが多い。設備の老朽化・修繕費未計上・土地の含み益が評価を左右する。収益性が高い施設では事業価値よりも低く評価されることが多いため、この手法だけで評価されないよう注意が必要だ。
④ 類似取引比較法— 実態把握のクロスチェックに
同規模・同業態の過去M&A取引事例を参考に価格帯を算出する方法。M&A仲介会社が持つデータベースを活用する。一般公開情報は限られるが、仲介会社を通じると数十件〜数百件の類似取引データを参照できる。他の3手法と組み合わせてクロスチェックするのが実務上の標準だ。
数字で見ると、RevPARが高く・OTA依存度が低い施設は評価倍率が1〜2倍上振れするケースが多い。これがRM視点からの「磨き上げ」が企業価値に直結する理由だ。詳細は第8章で解説する。
4. 売却プロセス7ステップ【売り手向け】
宿泊施設の売却には一般的に6ヶ月〜1年半かかる。プロセスを7ステップで整理する。
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Step1:現状把握・財務整理(1〜2ヶ月)
過去3年分のP/L・BS・キャッシュフロー計算書を整備する。RevPAR・ADR・OCC・OTA依存度の推移をKPIダッシュボードに落とし込む。「買い手が一番最初に見る数字」を正確に見せる準備が最優先だ。特にOTA手数料をチャネル別に可視化できていない施設は、この段階で実態コストを把握することから始める。 -
Step2:磨き上げ施策の実施(2〜6ヶ月)
売却価格を最大化するためのRevPAR改善・コスト削減・OTA依存度の分散を実施する。この段階での施策が評価額を20〜50%変える(詳細は第8章)。「早く手放したい」という焦りから磨き上げを省略するのが、最も多い失敗パターンだ。 -
Step3:仲介会社の選定・契約(2〜4週間)
複数の仲介会社にコンタクトし、専任媒介か一般媒介かを決める。専任媒介は情報漏洩リスクが低く、仲介会社が積極的に動く。一般媒介は複数社が動くため買い手候補が広がる一方、情報管理が難しくなる。 -
Step4:企業概要書(IM)の作成・買い手探索(1〜3ヶ月)
仲介会社が企業概要書(Information Memorandum)を作成し、候補買い手にアプローチする。NDA(秘密保持契約)締結後に詳細情報を開示。情報漏洩防止のため、NDA締結前は匿名での情報提供が原則だ。 -
Step5:LOI(基本合意書)の締結(1〜2ヶ月)
複数の買い手候補から提案書を受け、交渉を経てLOI(Letter of Intent)を締結する。この段階で価格・スキーム・排他交渉期間が概ね決まる。LOIは法的拘束力が限定的だが、以後は基本的に一社との独占交渉になる。 -
Step6:デューデリジェンス(DD)(1〜3ヶ月)
買い手側が財務・法務・税務・事業・施設の5分野でDDを実施する。売り手はデータルームを準備し、質問に誠実に対応する。DD後に隠蔽が発覚すると表明保証違反として損害賠償リスクになるため、問題点は事前に自ら開示する姿勢が重要だ。 -
Step7:最終契約・クロージング(1〜2ヶ月)
最終的な売買契約(SPA)を締結し、代金決済・所有権移転・許認可変更を行う。スタッフへの説明・引き継ぎも同時進行で進める。クロージング後の経営移行期間(1〜3ヶ月)を設けると、運営の安定化につながる。
5. 買収プロセスと買い手が重視するポイント【買い手向け】
買い手側も事前準備が成功の鍵だ。宿泊業M&Aで必ず確認すべき4つの指標を整理する。
買い手が最初に確認すべき4つの指標
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RevPAR水準と競合比較(RGI)
自施設のRevPARが市場平均を上回っているか。STRのRGI(Revenue Generation Index)が100を超えているかを確認する。RGI100未満の施設は「市場の恩恵を受けられていない」状態であり、RM施策による改善余地がある。42室ビジネスホテルの支援事例では、コンプセット分析体系化後にRGIが100を超え、翌四半期で市場平均を上回る水準に改善した実績がある。 -
OTA依存度とチャネルミックス
OTA依存度80%超の施設は、アルゴリズム変更一つで売上が40%減するリスクがある。私が経験した事例でも、OTA比率95%のホテルが一晩で検索順位が30位下落し、月間予約が40%減少した。直販比率・法人比率のバランス確認が必須だ。法人比率30%超になると、OTAアルゴリズム変更の影響を構造的に1/3以下に抑えられる。 -
固定費構造と損益分岐点
人件費率・リネンコスト・エネルギーコストの実態を確認する。固定費が高い施設は稼働率が少し下がるだけで赤字に転落するリスクがある。業態別の採算稼働率目安(ビジネスホテル55〜65%、温泉旅館48〜62%、リゾートホテル65〜80%)との比較が必須だ。 -
施設の修繕履歴と将来投資計画
建物・設備の老朽化度合いと今後5年間の修繕費見積もりを確認する。特に大浴場・給湯設備・エレベーターは修繕費が高く、M&A後の資金計画に大きく影響する。温泉旅館では源泉の状況(自噴/汲み上げ)・温泉権の確認も必須だ。
RevPAR改善の具体的な手法については、ダイナミックプライシング導入でRevPARを最大化する全手順も参照いただきたい。
6. デューデリジェンス(DD)で確認すべき5つのポイント
DDは買い手が「買う価値があるか、隠れたリスクがないか」を調査するプロセスだ。宿泊業特有の確認ポイントを解説する。
① 財務DD:実態PL vs 見かけPL
宿泊業の財務DDで最も重要なのは「実態PLの把握」だ。オーナー報酬の変動・役員貸付金・OTA手数料の販促費一括処理など、チャネル別ROIが見えない形で計上されているケースが多い。実際に42室ビジネスホテルで年間予算策定の棚卸しを支援した際、年間380万円のOTA手数料が「販促費」として一括処理されており、チャネルごとのROIが全く見えていなかった。このような「見えないコスト」の可視化がDDの出発点になる。
② 法務DD:許認可・労務リスク
旅館業法の許可証・消防設備点検の実施状況・建築基準法の既存不適格の有無を確認する。特に労務リスク(未払残業・就業規則の整備状況)は承継後の紛争に直結するため、過去3年分の勤怠記録を精査する。2024年4月の働き方改革関連法の宿泊業への全面適用を受け、勤怠管理の正確さが経営リスクに直結する状況になっている。
③ 税務DD:コロナ融資・固定資産評価
ゼロゼロ融資の残高・返済スケジュール・固定資産税の用途区分を確認する。固定資産評価証明書と課税明細書の照合は見落とされやすいが、建物の用途区分誤り(「一般建物」→「旅館」)が見つかるケースがある。訂正申請で年間数十万円の削減につながることもあり、DDで発見できれば交渉材料になる。
④ 事業DD:KPIの実態と改善余地
RevPAR・ADR・OCCの3指標を月次・曜日別・季節別に分解し、競合比較(RGI分析)を実施する。「市場平均を大幅に下回っている」と判明した場合は「改善余地がある資産」として買い手にとってプラスに働くこともある。ホテル売却の相場と流れ(損しない売り方5つのポイント)では、KPI分析を軸とした売却戦略について詳しく解説している。
⑤ 施設DD:設備・インフラの劣化診断
建物の劣化診断(耐震診断)・給排水設備・大浴場の配管状態・Wi-Fi環境を確認する。特に温泉旅館では源泉の状況(自噴/汲み上げ)・温泉権・配管の老朽化が評価に大きく影響する。施設の修繕計画を数字で把握できているかが、クロージング後の運営安定化に直結する。
7. M&A仲介会社・プラットフォーム5選を比較
宿泊業M&Aの仲介会社・プラットフォームは近年急増している。5社の特徴を実務目線で比較する。
| 会社・機関名 | 特徴・強み | 手数料目安 | 向いているケース |
|---|---|---|---|
| ① 事業引継ぎ支援センター(公的機関) | 国が設置する無料相談窓口。後継者問題の初期相談に最適。民間仲介へのつなぎ役として機能 | 無料(相談のみ) | 初めてM&Aを検討する中小旅館・民宿。何から始めればいいか分からないケース |
| ② 日本M&Aセンター | 成約件数国内最大級。幅広い業種・規模に対応。宿泊業の実績も豊富で買い手ネットワークが広い | 成功報酬5〜7%(最低手数料1,000万円) | 事業規模1億円以上の中〜大規模施設。確実な成約を最優先するケース |
| ③ M&Aクラウド(オンライン型) | 完全成功報酬制・着手金なし。プラットフォーム上で買い手と直接マッチング。宿泊業特化のアドバイザーも在籍 | 譲渡額の3〜5%(成功報酬のみ) | 小規模施設・スピード重視・初期コストを抑えたいケース |
| ④ バトンズ(中小企業特化) | 中小企業特化。売り手・買い手の両方が無料で登録可能。マッチング件数が業界最多水準 | 成功報酬100万円〜(規模による) | 譲渡価格5,000万円以下の小規模施設。低コストでマッチングしたいケース |
| ⑤ TRANBI(トランビ) | 月額制の買い手会員・売り手無料登録型。ホテル・旅館案件も増加。買い手の質は幅広い | 成功報酬50万円〜(規模による) | 時間をかけて自ら買い手を探したいケース。他の仲介と並行利用も可能 |
仲介会社選びの最重要ポイントは「宿泊業の実績件数」と「買い手ネットワークの質」だ。着手金の有無・専任媒介か一般媒介かを比較して、複数社に相談した上で判断することを強くお勧めする。事業引継ぎ支援センターへの無料相談から始め、民間仲介会社3社程度に並行して相談するのが実務上の最善策だ。
8. 「磨き上げ」で企業価値を20〜50%上げる実践RM戦略
売却を決意した後、すぐに仲介会社に連絡する前に「磨き上げ」期間を設けることが評価額最大化の鉄則だ。実績として、私が支援した旅館M&A案件では、売却前の1〜2年間でRevPAR改善・OTA依存度分散・管理会計整備を実施することで、当初の評価額から20〜50%の上乗せで成約するケースが複数生まれている。RM的に考えれば、施策効果は4週間で見切ることを基本にしているが、M&Aの「磨き上げ」は最低でも6ヶ月の継続が必要だ。
磨き上げ3つの柱
柱1:RevPAR・ADR・OCCの改善(評価倍率に直結)
ダイナミックプライシングツール(メトロエンジン等)の導入で平日一律料金を曜日別に最適化するだけで、ADRが15%以上改善するケースがある。42室ビジネスホテルの支援事例では、メトロエンジン導入から6ヶ月でADR+15.0%・RevPAR+21.4%を達成し、年間増収見込みが約1,600万円になった。買い手がDCF法で評価する際の将来キャッシュフロー予測が改善し、評価倍率が上振れする効果がある。
ダイナミックプライシングの具体的な導入手順はダイナミックプライシング導入でRevPARを最大化する全手順を参照してほしい。
柱2:OTA依存度の分散(リスク評価を改善)
OTA依存度85%超の施設は、買い手から「単一チャネルリスク」として評価を下げられる可能性が高い。直販比率・法人比率の改善が必須だ。直販強化の具体的な施策についてはホテル直予約を増やす8つの戦略|OTA依存から脱却し利益率を改善を参照してほしい。6ヶ月〜1年でOTA依存度を10〜20pt下げることができる。法人比率30%超になると、OTAのアルゴリズム変更時の影響を構造的に1/3以下に抑えられる。
柱3:月次KPIダッシュボードの整備(買い手の安心感)
月次でRevPAR・ADR・OCC・OTA依存度・人件費率・食材原価率が可視化されているかどうかが、買い手の「この施設は数字で管理されている」という安心感に直結する。財務の透明化(月次KPIダッシュボード)は、M&AのDD期間の短縮と価格交渉での売り手優位につながる。旅館の事業承継全般の流れについては旅館の事業承継ガイド|M&A・売却相場と成功の進め方7ステップでも詳しく解説している。
磨き上げのROIシミュレーション
| 施策 | 期間 | 投資額目安 | EBITDA改善額/年 | 評価額への影響(×5倍で計算) |
|---|---|---|---|---|
| DP導入(メトロエンジン等) | 4〜6ヶ月 | 月8〜15万円 | +400〜1,600万円 | +2,000〜8,000万円 |
| 法人営業強化(直販比率+15pt) | 6〜12ヶ月 | 年50〜100万円 | +200〜600万円 | +1,000〜3,000万円 |
| 月次KPIダッシュボード整備 | 1〜2ヶ月 | 10〜30万円(初期) | 直接効果なし | DD期間短縮・交渉優位 |
| リネン・エネルギーコスト削減 | 3〜6ヶ月 | 30〜200万円 | +50〜200万円 | +250〜1,000万円 |
9. M&Aでよくある失敗事例と対策
失敗事例1:情報漏洩による従業員・取引先の動揺
売却の話が社内に漏れると、優秀なスタッフが「どうせ変わるなら今のうちに転職」と退職してしまうケースがある。宿泊業は人材の質が直接サービス品質・OTA評価スコアに影響するため、キースタッフの離職は評価額を大きく下げる要因になる。NDA締結と情報管理の徹底、従業員への説明は「クロージング直前」に行うタイミング設計が重要だ。
失敗事例2:価格交渉の失敗(磨き上げなしで即時売却)
「早く手放したい」という焦りから、磨き上げなしで即時売却を急ぐケースがある。買い手はその焦りを察知して価格交渉で優位に立とうとする。財務が改善しているうちに計画的に売却プロセスを進めることが、最終的な譲渡価格の最大化につながる。
失敗事例3:DDで発覚した「隠れ債務」による価格減額
未払残業代・設備修繕積立金の未計上・ゼロゼロ融資の残高など、事前に把握していなかった負債がDD後の価格交渉で大幅値引きの材料にされるケースがある。「売り手側DD」(セルサイドDD)を先行して実施し、自ら問題点を把握・対処しておくことが最善策だ。問題の事前開示は信頼構築にもつながる。
失敗事例4:従業員の雇用継続を軽視した買い手選定
単に価格が高い買い手を選んだ結果、クロージング後に大幅なリストラが行われ、長年勤めたスタッフが辞めさせられたケースもある。地域のホテル・旅館は地域雇用を担う存在でもある。譲渡価格だけでなく「従業員への処遇方針」「地域との関係性の継続意思」を買い手選定の重要条件に加えることが長期的に見た成功につながる。
10. M&A後100日で実施すべき収益改善ロードマップ
買い手・運営継続者の立場から、M&A後の収益改善を加速させるポイントを整理する。
インバウンド需要が急回復している現在、海外OTAチャネル(Booking.com・Airbnb・Expedia)のプロフィール最適化が最優先施策だ。英語プロフィールの整備だけで外国人予約が3〜4倍になるケースは珍しくない。28室の温泉旅館では、Booking.comの英語プロフィールを全面リライトした翌月から外国人予約が月5件→18件(3.6倍)に増加し、インバウンドRevPARが+31%改善した実績がある。
M&A後100日で実施すべき施策ロードマップは以下の通りだ:
- 1〜30日目:PMS・チャネルマネージャーの設定確認、競合5社の料金モニタリング体制の構築、月次KPIレビュー会議の設定
- 31〜60日目:ダイナミックプライシングツールの導入、OTA英語プロフィールの最適化、RevPAR・RGIの現状把握
- 61〜90日目:法人営業の開始(ターゲット企業リスト作成・アプローチ)、直販サイトのSEO対策・IBE(予約エンジン)の最適化
- 91〜100日目:第一次効果検証・PDCAサイクルの確立、会員プログラム設計・SNS運用体制の整備
よくある質問(FAQ)
Q1. ホテル・旅館M&Aの仲介手数料の相場はいくらですか?
A. 仲介手数料は譲渡価格の3〜7%が一般的です。5,000万円の譲渡なら150〜350万円、1億円なら300〜700万円が目安です。着手金(50〜200万円)を取る会社もありますが、完全成功報酬型のプラットフォーム(バトンズ・M&Aクラウド等)も増えています。複数社に相談して比較検討することをお勧めします。
Q2. 赤字のホテルでもM&Aで売却できますか?
A. 可能です。赤字施設でも不動産価値(土地・建物)や立地・温泉権・ブランドによって買い手がつくケースは多くあります。ただし、事業として買収するより不動産売却扱いになることが多く、収益性が高い施設と比べると評価額は下がる傾向があります。赤字施設ほど「磨き上げ」による収益改善が評価額を大きく左右するため、少なくとも3〜6ヶ月の改善期間を設けてから売却に臨むことをお勧めします。
Q3. M&A完了まで何ヶ月かかりますか?
A. 案件によって異なりますが、仲介会社への依頼から最終契約まで平均6〜18ヶ月かかります。小規模施設(5,000万円以下)で買い手が早期に決まれば3〜6ヶ月、大規模施設や交渉が複雑な案件では2年以上かかるケースもあります。スピードより条件重視か、条件より早期クローズ重視かを事前に決めておくことが重要です。
Q4. M&A後、従業員の雇用は継続されますか?
A. 株式譲渡の場合は、法的には雇用契約が引き継がれます(買い手が「雇用継続」を前提にM&Aを進めるケースが大半です)。ただし、事業譲渡の場合は新たな雇用契約が必要になることがあり、希望者が再雇用されない可能性もあります。従業員への処遇方針は、買い手選定の重要条件として必ず確認してください。
Q5. 旅館業法の許認可はM&A後も引き継がれますか?
A. 株式譲渡の場合は許認可が自動的に引き継がれます。事業譲渡や不動産売却の場合は、原則として買い手が新たに旅館業法の許可申請を行う必要があります(簡易宿所・旅館・ホテルによって手続きが異なります)。M&A後の事業継続に支障がないよう、契約前に所管の保健所・都道府県に確認することをお勧めします。
まとめ:RM視点でM&Aの企業価値を最大化する
ホテル・旅館M&Aは、後継者問題・インバウンド投資急増・ゼロゼロ融資返済期という三つの波が重なり、2026年は過去最多水準の市場環境にある。
売り手にとって最も重要なのは、仲介会社選びより前に「磨き上げ」期間を確保し、RevPAR・OTA依存度・月次管理会計を整備することだ。私が支援してきた複数の案件では、この事前準備が評価額を20〜50%変えてきた。施策を4週間単位で検証しながら積み重ねることで、売却前の6〜12ヶ月で確実に数字は改善する。
買い手にとっては、EV/EBITDA倍率・DCF法・類似取引比較の三つの評価手法を理解し、DDで「実態PL」と「改善余地」を正確に把握することが成功の鍵だ。特にRevPAR水準とOTA依存度は、将来の収益改善余地を測る最重要指標になる。
M&Aは最終的には「人と人の信頼」で決まる部分も大きいが、その信頼の土台になるのは透明な数字だ。数字を見ずに語っていないか——この問いかけを、売り手も買い手も自分に向け続けることが、成功するM&Aの共通条件だと私は考えている。


